2013年6月29日土曜日

雨にぬれても スコーン ローストビーフ

雨粒が頭の上に落ちてくる
だからといって
目が赤くなるわけじゃない
泣くのはいやだ 
文句を言っても雨はやまないし
僕は自由なんだから
心配事なんて何もない


Raindrops keep falling on my head 
but doesn't mean my eyes will soon 
be turning red 
crying's not for me, 'cause 
i'm never gonna stop the rain by complaining 
because i'm free 
nothing's worrying me 



2013年6月28日金曜日

掘 あり方 本

初めて、石元泰博のシカゴシカゴ2をちゃんと見た。
前まで、勝手に決めつけて
全然興味なかったけど、
今日見てそんなこと思った自分アホだって思った。

全てが作家の想定内な感じがした。
イメージをそのまま写真にしている感じというか、
写真の中にあるオブジェクトを操作できている感じ。
でも、その中にも偶然性はあって、
だからずっと見ててもいろんな見方ができるし
楽しいが継続する。

想定内のところから突拍子もないことが
わって出て来たりするのが面白いなと最近思う。
全部手の中にある感じはつまらないかな、と。

2013年6月27日木曜日

追求 夢中 探す

撮り方がどんどん変わってきている。
当然、そこまでにはいろんな影響があるんだけど、
一つは、自分の考え方が形に直結する作品が作られていってるってこと。

すごく感覚的だし、言葉にする作業とその考え方に至るまでの過程を
文字に起こす作業はとても時間のかかることだけど
いつもより、自分の作品が近くにある感じがする。

少ない要素の中で、どれだけ面白いことができるかっていう実験は
すごく鍛えられるし、スナップ写真とはまた全然違う、
すごい脳みそを使う感じがして楽しい。

それを繰り返していると、本当に自分の写したかったものが写るし
でも、それはファインダーを覗いた瞬間とは
また、全然違う仕上がりになっていてどんどん期待を裏切られて
ほんとにやめられない。




2013年6月25日火曜日

いっちゃん お好み焼き ライム

「仕事」にはいろんな形があることが
ここ数ヶ月でわかった。
父親の仕事っぷりしか小さいときから見ていなかった分、
毎日同じ場所で同じ時間働くことが
あたり前だと思ってた。
けど、実際今自分が目指しているところは
全くそうではないし、
むしろ同じ場所なんてない。
自分が思っているよりも、その「仕事」と名付けられたそこは解放されている。


2013年6月21日金曜日

レモナック 取捨 世界報道写真展

チケットを頂いたので、世界報道写真展へ。

今年は去年と比べて、
希望の見える写真が多いように感じた。
もちろん、悲惨な事件や現場の写真も多いのだけど
前向きな姿勢の写真や、
人とふれあいながら生まれる自然の幸せみたいなものに
フォーカスをおいている写真が多くて
見ていて去年のようにしんどくなることがあまりなかった。

自分と写真に写る人や内容を比べたり
一緒にしてしまうことは絶対にやめようと思いながら写真を見ていた。
そんななかでも、やはり、自分にできることは何か
作品に対する考え方はこのままでいいのか、
意識はそっちにもいっていた。

写るものが全てだと思った。
過程ではなく、結果が全てなように、
自分の目に写るものが全てでありそれ以上でもそれ以下でもない。
期待することも落胆することも違っている。




2013年6月20日木曜日

今 状況 感じている


言葉というのは、作品において、限界はなくて
自分の好きなように好きな方向に
位置づけることができる要素の一つである。
当然、嘘をつくことも盛ることもできる。
ただ、写真単体ではそれはできないし、
必ず、写真のなかに作者の本当の意思や意図が見えてしまうだろう。

だから、慎重に丁寧に向き合って
曖昧な言葉がないようにしたい。


学生最後、卒業制作の作品を制作している最中に
偶然、一人の写真家の方に作品を見ていただいたことがある。
その時の私は、自分の作品を自分の言葉で最後まで
説明することが到底できなかった。
感情が先走ってしまって、うまく整理がつかなかったときだった。

「貴方にとって今日お見せ頂いた作品は、
これからの活動の根幹になっていくのだろうと思いました。
今夜、その作品が帯びた貴方にとっての意味が
年月を重ねて変化して熟していくのだろうと、
そういうこと想像していました。」

と後から丁寧にメールをもらった。
その意味も今、自分に読聞かせている。

彼からのメールは、予言のようで
いま、本当に、活動とはいえなくても、
あの作品が元になっているのは、わかる。

あれから、半年ほどが経過して
新しい作品形態を形作っている今、
前よりももっと考えなければならないことが増え
収拾がつかなくなり、本当に写真が発してることはなにか、
自分がシャッターを押した時、感じていた腑に落ちない何かは
いったいなんだったのか。
無理矢理にでも、言葉に当てはめて安心したい自分と、
考えなくても済むことならば、いっそのことスルーして
もっと別の形にかえたいと思っている自分がいて
正しいことと自分の欲求が混ざっていて
とても面倒な状態である。

もっと言葉がいるし、まだ見つけられていない表現のしかたが絶対どこかにある。



2013年6月19日水曜日

食いつく 縁 サムギョプサル

今日は友人と先輩と食事に。
続けることでしか、結果は残していけないよな〜としみじみ。
好きなことがある人は、いくら忙しい中でだって
結果ちゃんと作品生んでて、生もうとしてる人がいて
両立しようとしたり計画たてたりそれ実行に移してる人は
見える形として何かしらの跡を残していってる。
周りみて自分ももっとちゃんとしないとって気引き締めた。





2013年6月18日火曜日

ポーランド ピアノ シルビア

ポーランド人の話を2時間くらいぶっ通しで聞いた。
何を話てるのか、なんでみんな笑っているのか、全然分からなかった。

言葉が暗号のように頭の中で流れていて、
きっとこういうことを言っているんだ、と独自の解釈をしようとした時
英語を最初に勉強しようとした時と同じ感覚になっていて
懐かしい気持になったと同時に、
言葉には、文字、だけではなくて
強弱だったり、話す態度だったり、表情で
いろんなことを汲み取れる、とてもたくさんの情報が
そこには詰まっていることを実感した。

分からない言葉の中に自分が入ることは
不思議と楽しくて落ち着く。

写真の上がりは順調で今から焼くのが楽しみでしかたない。






2013年6月17日月曜日

散歩 道案内 本

時間が少しあったので、散歩がてら一駅歩いていたら
おばあさんがバス停を探していたので
面白そうだったので一緒に探していた。
公明党の方だったみたいで、
次の選挙はぜひ、◯◯◯◯にいれてくださいね!!(名前忘れた)
と言われた。
あなた、結婚はまだ?誰か紹介してあげるわよ〜!
と言われてたので、話変えるためにバス停見つけて停留所の説明していたら
でも、あなた。いい人いそうね〜!うふふ!
と言われた。
スッピンの髪ぼさぼさの女に合う素敵な男性はどこにいるのか。

家帰って速攻、オリーブオイルの髪パックを
試したらパッサパサだったものが蘇って
トリートメントのCMに出てくる髪とトントンな感じになって自信漲った。

....土日が濃すぎて、動き回りながらも魂抜けたみたいな日過ごした。





大感謝 言葉にならない 豪華 興奮

友人が撮影に協力してくれてそれまで頭の中にあったことが
一斉に爆発して、パーティーのような2日間が過ごせた。
そんなすばらしい友達には感謝の言葉しかでない。

この計画は1ヶ月前から頭の中で進行させていたことだった。
一番自分の近くにいた、いる人の、
新しい見え方、形、を見つけたかったし、
新鮮さがどうすれば上手くでるのか、それをずっと考えていた。

たくさんの作品を目に焼き付けて
影響をうけた、そのものをどんな形で新しい自分のものとして作り上げて
見られる側と自分の満足を満タンにすればいいのかの方法を見つけ出すのが
本当に楽しかった。

でも、一番は
どうしたら、楽しい撮影ができるのか、もうそれだけだった。
新しいこと、今まで経験したことないこと、
先が読めない、どんなことが待ってるかの実験みたいなこと、
ハプニングみたいなとこに集中して懸ける、
それがどれだけエネルギーが必要で最高に面白いことか、
撮影中は中毒みたいだった。
全ての空気をカメラに込めたかったし
上手くいかないことがこんなにあるのかってくらいだった。


まだ、作品の画は見れてないけど、
この2日間、天気予報は雨だったものも晴れになって
誰かが守ってくれてるような強い力みたいな
味方みたいな空気をびんびんに感じていたので
最後まで上手くいってほしいし、
みんなに見て欲しい。

ほんとに言葉にまとまらないけど、
全部が私にとっての学びだった。







2013年6月15日土曜日

メキシカン 新宿 友達

友人と3週間前くらいから約束していてやっと実現したご飯。

その友人のことを少し話しておくと、
彼女は今年で5年目の付き合いで
最初の印象から価値観からなんから全部全部合わなくて
当時とても苦手(というかもはや嫌い)な子だった。
存在が天然で、ぶりっ子で、相手に媚売ってるようにしか見えなかった。
(もう、最低な見方をしていたし、これを彼女が見たとしても大丈夫。
分かってくれている。)
それが、今はこうしてご飯に行く仲だからほんと不思議。
予測してなかった事態。

どんな子かというと
「私、女の子から嫌われるんだよね。何がいけないんだろ。。。
(略)
ほんとに女の子の友達が欲しい!(涙目)」
という子で
いや、見た目もすごく可愛いし
話易いし、コミュニケーション力が高くて
声もものすごい高い。
という子。

こういう子、絶対CAとかにいたらいじめられる対象になってるだろうな。
って感じの子。

ボロクソに言ってますが、これは相手も承知の話。

何がいけないのかっていうと、何もいけなくない。
ただ、今いる世界で彼女と合う人間が今のところいないってことだけだと思う。
(合う合わないあるから....。)

でも、最初の印象と後からの関係は決して一緒ではないし、
最初の印象がよかった(或は悪かった)から
その後決して上手くいく(或は最悪のまま)というわけでは決してない。

相手に興味を持ったり、自分に持ってなくて相手が持っているところは
どこか探したりするうちに、距離は段々縮まっていくし、
その歩み寄りはどんな人間関係においてもすごく必要なことの一つだと思う。
※それ以前に、この人と近くなりたい、とどっちかが思うことが最重要だけど






2013年6月14日金曜日

すし 落下 一瞬

つぶ貝(活)寿司屋で落としたら、目の前でそれガン見してたおっちゃんが、
次注文したお皿の隅っこに一個おまけでつけてくれた。

世の中が一瞬で輝き希望が見えた。。。



2013年6月12日水曜日






ハイエナ ハンバーグジャポネ 家族deご飯

今日は自分の周りにある幸せについて考えてみた。
なぜなら、周りにある宙に浮く、キラキラしているものに対して
いいな〜という感情が芽生えてしまったから。

いつも、こういう気持になったとき、私は、
自分とそのキラキラしたものを比べて
「なぜ、こんなに『うらやましい!』と感じる感情が芽生えてしまったのか」
について原因をとことん考える。
(いつも10分くらいじっくり、そして回答が明白になった瞬間
NEWジブンになったような気さえする。めでたい奴だ。)

今回は、そんな自分を戒め、元のまっさらな自分に戻るため、
自分の幸せを考えることにし、さらにこの感情を忘れないために
ここに、記すことにする。

先日、実家に帰省した。
父が、ずっと、黒いカレーを食べにいこう。
ハンバーグが絶品だ。と強く押していて、終いにはそこの店の食べログまで
見せてきたもんだから、それまで1日置き毎にカレーだった私も、断り続けた私も
(特に他に食べたいものはなかったが、そこまで車で40分ほど
走らせなければいけなかったため、その距離も想像してぐったりしていた)
父が珍しく落ち込んだため、渋々連れていってもらうために。
母にも、父が落ち込んだことに対して責められ、
気分を回復させろと言われ、
どうして、こうもしてまで私は黒いカレーとハンバーグを食べに行かないと
いけないのだと考えたが、とりあえず謝り、
真っ暗な夜道を運転してもらいながら周りは田んぼしかない店についた。

結果はというと、私たち家族4人は
ハイエナのように食べ、食べ終わったら速攻
「ごちそうさまでした〜!!!」と言い店を出て行っていて
(家族で外食すると、食べ終わったら速攻出るというのが常で
終わってから、一服したりおしゃべりをしたり、という
ガールズトーク的優雅な時間は一切流れない。)
母はオーナーに「ハイエナのように食べてしまいました、、、」と
ゲラゲラ笑いながら話かけていて、
オーナーの方は苦笑いで私たちを見つめ、
私は「また、連れてってってね。。。」
と父にいうまでになっていた。

まんまとハンバーグジャポネに魅せられ、生アスパラサラダに至っては
2皿食べるという。。。

というのが、私を支える元であり、この時間である。
他には決して変えられない貴重な幸せな時間は
ここにあるのだと実感せざるおえない。

つまりは、他者と自分を比較するところに
意味も楽しみも全くないわけで
そこから生まれるのは
多少の希望と後は憎しみにいた、可愛く言えば
ヤキモチ、のような感情であり、
そこからは全く可愛くない自分が自然に生まれ、派生?されていくのである。




2013年6月10日月曜日

田中 泯 献上 身体

先週の土曜日、田中 泯の「献上」を見に母と豊田市美へ。
地元の、しかも近所でこんな贅沢な機会があるなんて信じられなかった。
身体から湧き出る表現に圧巻。
もしかしたら、自分は仮面を被っているのではないか。
自分というものは何をもって存在すると言えるのか。
存在している「私」という身体自体から抜け出して
何もないものになり、できることなら無になりたい。
こういうことを田中 泯さんは表現したかったのかな、と
その時のことを振り返って思う。
 
鍛えられた、美しい身体はとても68歳には見えなかった。


砂を身体にかけるという表現や泣き叫ぶ時、
フランシスベーコンだけが特別にそういう気持になっただけではなく
人間だれしもが、何時かのタイミングで、似たような感情になる、
そのことを、表現の中で魅せてくれたんだと感じた。


講演終了後、とても踊った本人だとは思えないくらいの柔らかな雰囲気で
私たちの前で少し話をしてくれた。


「このくらいの大きさが僕にとっては(踊りを見せる)限界なんです」
と言った、 泯さんには本当に欲なんてなくて、
だから余計、とても自分には敵わないような、大きい人に見えた。


こんな偉大な人が、日本に彼だけじゃなく、もっとたくさんいることを思うと、
国も、泯さんが育った環境も、他の環境も、
もっと、もっと、限界なんてなくてすごい可能性がたくさん
自分が気付いてないだけで、広がっているんじゃないかと
期待と、希望が膨らんだ。




2013年6月6日木曜日

白いカレーうどん 拝 飛ぶ

昨日、展示場で夫婦で作品の前で正座をして鑑賞している姿を見た。

鑑賞、というより崇拝という言葉のほうがしっくりくるかも。
作品が放っているパワーを時間をかけて受け取っている感じ。

そして、作品と会話する瞬間を見てしまった感じがしたし
その場所は、彼ら3人の空間で覆われていたように見えた。

あの瞬間を壊したくないという気持が湧いた。




2013年6月4日火曜日

フルーツサンド フレッドペリー 銀座

久しぶりにでっかい撮影できそうで念入りに準備している。

preparing for BIG event coming up next week.


2013年6月3日月曜日

だるま 誰 伸びる

座っているだけなのにお腹だけは空く

と言って、私のご飯を待っていた。
毎回行く度に、どうしようもない気持になる。

老化現象というのは、周りがこんなに切なくなるものなのか。
しょうがない、じゃぁ片付けられそうにない。

でも、つい一年前の私は
「しょうがないよ、病気なんだから」
と言っていたな。ほんと、心のない人間だった。


Only sitting on the chair but being hungry.

She said and was waiting till I made some foods.
Every time I go, I feel something and it is not so simple to say or explain.

How come aging phenomenon is sometimes so cruelty?
 "that's life" it's not easy like this words.

But, I have said like above a year ago.
I was too cold and thought nothing about others for example my mom.